宗像大社・辺津宮「高宮祭場」

宗像大社・辺津宮「高宮祭場」

宗像大社・辺津宮の「高宮祭場」は、宗像三女神降臨の地と伝わる、境内の中でも最も神聖な場所の1つで、近年はパワースポットとしても話題になっています。

こちらのページでは、そんな「高宮祭場」の歴史や由来、「高宮祭場」で行われる祭祀「神奈備祭」などについてご紹介します。




高宮祭場の歴史・由来

現在「高宮祭場」として整備されている場所は、「下高宮祭祀遺跡」の一部です。

下高宮祭祀遺跡は、辺津宮に社殿が建立される以前の、自然崇拝の時代に祭祀が行われていた場所なので、もともと建物はありません。

現在私たちが目にすることができる高宮祭場は、戦後の「昭和の大造営」の際に、遺跡調査の結果を踏まえて「磐境(いわさか)」と「神籬(ひもろぎ)」でできた祭場を整備し、古代祭祀場の様子を再現したものです。

「磐境」とは:
岩を並べたもので、神が降臨する場所を表し、祭祀の際は祭壇となります。

「神籬」とは:
神が宿る樹木などのことで、社殿や神棚以外で祭祀を行う対象になる場所です。高宮祭場では、紙垂(かみしで)と呼ばれる、独特の形に切られた白い紙が巻かれた木が神籬となっています。

高宮祭場は、神話の時代、宗像三女神が降臨した場所とされており、信仰上たいへん重要な場所で、辺津宮境内の中でも最も神聖な場所の1つです。

また、古代、露天で行われていた祭祀の場所を間近に見られる、全国でも珍しい貴重な場所となっています。

そもそも、日本の神道の信仰の始まりは、「山や海などの自然物に神が宿っている」と考える自然崇拝で、社殿というものはなく、6世紀半ばに仏教が伝来して寺院が建立されるようになったことに影響されて、社殿が建てられるようになったということです。

宗像大社・辺津宮については、平安末期(12世紀)頃までには、下高宮祭祀遺跡(高宮祭場)がある丘陵の麓に本殿などの社殿が建築されたと考えられていますが、初めの社殿の建立の詳しい時期は、今のところわかっていません。

さて、「下高宮祭祀遺跡」というくらいなので「上高宮」もあるわけなのですが、こちらは高宮祭場の奥の階段を上り切ったところにあります。

小さな石の祠が1つあるだけなのですが、この「上高宮」も含めて、現在の辺津宮の起源となった古代祭祀の遺跡というわけです。

「昭和の大造営」と出光佐三

出光佐三(いでみつさぞう)は出光興産の創業者で、地元・宗像大社の復興のために1942年(昭和十七年)に結成された「宗像神社復興期成会」(現・宗像大社復興期成会)の初代会長として中心的な役割を果たした人物です。

戦後、仕事がない中で、苦しみながらも会社を立て直し、そこで得た利益から、宗像大社・辺津宮の古くなった社殿の修理や神社史の編纂、沖ノ島の古代祭祀遺跡の学術調査などの費用を寄進しました。

1969年(昭和四十四年)には、「昭和の大造営」と呼ばれる辺津宮の再興事業に着手し、2年間の歳月と当時の金額で約10億円という多額の費用をかけて完成させました。

高宮祭場や高宮祭場への参道の整備も、この時に行われています。

出光氏の人柄や信仰心を表す話として、「昭和の大造営」での功績が大きかったので、境内のどこかに名前を残させてほしいという申し出が神社側からあったものの、出光氏本人は「畏れ多いので」ということで断り続けたという逸話が伝わっています。

宗像三女神の降臨

宗像大社のご祭神・宗像三女神は、一説には、高宮祭場がある場所に降臨したと伝えられています。

この三姉妹の神は、現在は沖ノ島の「沖津宮(おきつみや)」、大島の「中津宮(なかつみや)」、そして高宮祭場がある「辺津宮(へつみや)」に、別々に祀られています。

沖津宮のご祭神

宗像三女神の長女神:田心姫神(たごりひめのかみ)

中津宮のご祭神

宗像三女神の次女神:湍津姫神(たぎつひめのかみ)

辺津宮のご祭神

宗像三女神の三女神:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

宗像三女神の降臨についてやご神徳、信仰の歴史などについては、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)の「歴史・由来」と、ご祭神・宗像三女神の「名前の由来・ご神徳(ご利益)」など




宗像大社・高宮祭場の「神奈備祭」

神奈備祭(かんなびさい)は、宗像大社の秋の大祭の最後に執り行われる祭祀で、大祭中に行われる「みあれ祭」でお迎えした宗像三女神に秋の大祭が無事に執り行われたことを感謝し、宗像三女神のご威光が永遠に続くことを祈願します。

「かんなび」とは、「神が降臨する山や杜」のことで、つまり、高宮祭場の場所や高宮祭場がある宗像山のことを指します。

神奈備祭の歴史・由来

宗像大社の「神奈備祭」はもともと「八女神事」という名前で、1375年(応安八年)まで、現在の高宮祭場がある場所で行われていたとされていますが、それ以降は中断され、実に630年が経過していました。

しかし、2005年の市町村合併に伴い、宗像大社氏子青年会が合流・結成され、地域の協力体制も盤石になったことから、宗像大社では、八女神事を復活させることになったということです。

平成の世に新しく始まる八女神事は、長年「神奈備の山・神奈備の杜」として崇拝されてきた高宮祭場で行われることから、「神奈備祭」という名称にすることになりました。

宗像大社・高宮祭場の「神奈備祭」の日程と見どころ

日程

  • 毎年10月3日、18時から

※一般参列者の入場は、例年、17時からとなっていますが、最新情報をご確認ください。

見どころ

「神奈備祭」では、太宰府天満宮の舞楽「悠久舞」が4人の巫女により奉納されます。

また、神功皇后が詠まれたと伝わる、

八女は 誰か八女そ 天に坐す 天若御子の 神の八女
(やおとめは たかやおとめそ あめにます あめわかみこの かみのやおとめ)

という和歌が、氏子たちによって繰り返し歌われます。

暗い森林の中に照明が灯され、神聖で厳かな雰囲気の中行われる歴史ある祭祀を、ぜひ見学しに行ってみてください。

神功皇后とは:

『古事記』や『日本書紀』に登場する第14代仲哀天皇の后で、第15代応神天皇の母です。

高宮祭場のお守り「割符守」

宗像大社・辺津宮には本殿前と祈願殿にお守りなどの授与所がありますが、こちらの「割符守」は、高宮祭場でのみ拝受することができます。

木でできたお札型のお守りで、真ん中から縦に二つに割れるようになっています。

右側には氏名と年齢を記入し、その裏には願い事を書いて結んで帰ります。

左側はお守りとして持ち帰り、一年間、開運や厄除けのご加護をいただくというものです。

高宮祭場の奥にある無人の授与所でいただけます。

  • 「割符守」の初穂料(値段):300円

高宮祭場の場所

本殿・拝殿への入口となる神門をくぐってすぐの右側、本殿後ろ側にあるご神木の楢の木の前、第二宮そばから高宮祭場の参道に入ります。

参道は所々に階段のある上り坂になっており、出発地点により5~10分ほど歩くと、高宮祭場に到着します。

正面にはお守りが置いてあるお社が見え、手前に祭場があります。

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