宗像大社・辺津宮「第二宮・第三宮」

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宗像大社・辺津宮「第二宮・第三宮」

読み方

  • ていにぐう・ていさんぐう
造営年

  • 不明
再建年

  • 1975年(昭和五十年)
建築様式(造り)

  • 本殿:神明造
  • 拝殿:切妻造
屋根の造り

  • 銅板葺
ご祭神

  • 第二宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
  • 第三宮:湍津姫神(たぎつひめのかみ)

宗像大社・辺津宮「第二宮・第三宮」の歴史・由来

かつて、宗像大社・辺津宮には第一宮、第二宮、第三宮という3つの主要な社殿がありました。

第一宮は現在の本殿であり、第二宮と第三宮は場所は移されたものの、今も同じ名称で残されています。

第二宮には宗像大社・沖津宮のご祭神である田心姫神を、第三宮には宗像大社・中津宮のご祭神である湍津姫神を祀ります。

本殿に祀られている市杵島姫神(いちきしいまひめのかみ)は宗像三女神の末妹神で、田心姫神が長女神、湍津姫神が次女神です。

沖津宮のある沖ノ島は、古来、入島が厳しく制限され、現在では一般の人の入島は禁止となっています。

また、中津宮のある大島へも、九州本土からは渡船に乗る必要があり、アクセスが良好とは言えません。

電車やバス、渡船などが整備される前の時代であれば、なおさら、参拝は困難だったでしょう。

本来は三宮合わせて「宗像大社」なので、すべてに直接参拝したいところですが、残念ながらできないため、辺津宮の境内の第一宮(本殿)と第二宮、第三宮に詣でることで、三宮へ参拝したことになるという信仰が、長年受け継がれてきたのです。

第二宮・第三宮の社殿は伊勢神宮からの移築

現在の第二宮・第三宮の社殿は、1973年(昭和四十八年)の伊勢神宮の式年遷宮に際し、特別に譲り受け、2年後に移築されたものです。

それぞれ、伊勢神宮の以下の別宮の古殿が移築されました。

  • 第二宮:伊弉諾宮(伊佐奈岐宮・いざなぎのみや)
  • 第三宮:伊弉弥宮(伊佐奈弥宮・いざなみのみや)

伊弉諾宮・伊弉弥宮は、その名の通り、それぞれ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る神社です。

伊勢神宮の伊弉諾宮・伊弉弥宮。奥に月読宮と月読荒御魂宮も並んでいます。
イザナギ・イザナミと宗像大社の関係は?

伊弉諾尊と伊弉冉尊は、天照大御神の御父神・御母神です。

天照大御神は伊勢神宮・内宮のご祭神であり、宗像大社のご祭神・宗像三女神の御母神です。

つまり、伊弉諾尊と伊弉冉尊は宗像三女神の祖父母神に当たり、三女神のうちの長女神・次女神が、その祖父母神のお社を譲り受けたことになります。

宗像三女神の誕生・降臨について詳しくは、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)の「歴史・由来」と、ご祭神・宗像三女神の「名前の由来・ご神徳(ご利益)」など

2017年には修復工事が行われましたが、これにも、2013年の式年遷宮の際に出た材木が使われました。


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宗像大社・辺津宮「第二宮・第三宮」の建築様式(造り)・特徴と見どころ

第二宮・第三宮はどちらも「神明造(しんめいづくり)」または「唯一神明造」と呼ばれる建築様式の社殿となっています。

神明造は日本最古の建築様式です。

唯一神明造は、造りの特徴は一般的な神明造と同じですが、伊勢神宮の社殿の建築様式を、特別に唯一神明造と呼びます。

宗像大社・辺津宮の第二宮・第三宮は伊勢神宮の別宮だった建物なので、「唯一神明造」とも呼ぶというわけです。

主な特徴は以下の3点で、辺津宮の第二宮・第三宮は規模こそ小さいものの、これらの特徴を見て取ることができます。

  • 切妻造
  • 平入り
  • 掘立柱(ほったてばしら)

また、屋根の上の千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)も、伊勢神宮の唯一神明造の特徴をよく表しています。

第二宮・第三宮の建物は1つに見えますが、実際は、神明造の本殿の手前に、切妻造・妻入りの拝殿が配置されています。

本殿の周りには玉垣(たまがき)と呼ばれる板塀があり、建物の下の方は見えづらいですが、ぜひ側面からも見てみてください。

 

伊勢神宮の唯一神明造については、当サイトの以下のページ↓で詳しくご紹介しています。

「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」とは?「神明造(しんめいづくり)」とは??

石碑にも注目!

戦後、宗像大社の復興や学術研究に尽力した、出光佐三という人物をご存知でしょうか?

出光氏は宗像の生まれで、出光興産の創業者として知られていますが、もう一つ、「宗像神社復興期成会」(現・宗像大社復興期成会)」の創始者・初代会長という顔も持っていました。

多額の私財を投じて、それまでほぼ手付かずだった沖ノ島の遺跡の学術調査を行い、また、辺津宮境内の整備や社殿・施設の修復、再建、建設を行いました。

この辺津宮の復興事業を「昭和の大造営」と呼び、第二宮・第三宮の再建も、この事業の一環で行われました。

宗像大社に対する出光氏の貢献は計り知れないものでしたが、神社側からの申し出にもかかわらず、出光氏本人は、「畏れ多い」として境内の石碑などに自分の名を残すことを拒んだといいます。

そんな中でも、辺津宮の境内で出光氏を偲ぶことができるものがいくつかあります。

それは、第二宮・第三宮の前にある手水鉢と、第二宮・第三宮の石碑です。

手水鉢の「洗心」の文字と、第二宮・第三宮の石碑の文字は、どちらも出光氏の筆によるものだということですので、次の機会にはそちらにも目を向け、宗像大社の戦後復興の父とも言える存在である出光佐三の面影を、現地で感じてみてはいかがでしょうか。

宗像大社・辺津宮「第二宮・第三宮」の場所

第二宮・第三宮は、本殿の後ろ側に位置しています。

本殿の向かって右側にある高宮祭場への参道を境内奥へ向かい、高宮祭場へ行く道との分岐点の鳥居で左へ進みます。

右へ行くと高宮祭場、左へ行くと第二宮・第三宮があります。
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