ええっ!?宗像大社が「裏伊勢」と呼ばれている!?その理由(由来)は!?

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福岡県宗像市の宗像大社と三重県伊勢市の伊勢神宮は、距離にすると700~800kmも離れた場所にありますが、実は深い繋がりがあり、宗像大社は、「裏伊勢(裏伊勢神宮)」とも呼ばれています。

こちらのページでは、宗像大社が「裏伊勢」と呼ばれる理由(由来)と、伊勢神宮・宗像大社の繋がりなどについてご紹介します。

宗像大社は「裏伊勢」!?その理由とは?

 ご祭神の繋がり

宗像大社が「裏伊勢」と呼ばれる主な理由は、ご祭神同士の繋がりにあります。

まず、伊勢神宮と宗像大社それぞれのご祭神についてご紹介します。

伊勢神宮のご祭神

  • 内宮:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  • 外宮:豊受大御神(とようけのおおみかみ)

天照大御神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、皇室、そして日本人の祖神とされています。

また、天照大御神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に神勅と三種の神器を授け、日本国の初めとなる「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を治めさせたと言われています。

豊受大御神は衣食住など諸産業の守護神で、天照大御神の御饌津神(みけつがみ)とされています。

御饌津神とは、神に奉る食物を司る神のことです。

宗像大社のご祭神

  • 沖津宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
  • 中津宮:湍津姫神(たぎつひめのかみ)
  • 辺津宮:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

「宗像大社」とは、沖津宮・中津宮・辺津宮の総称ですが、一般的には辺津宮のみを指して「宗像大社」と称することもあります。

宗像大社の三宮にそれぞれ祀られている神は「宗像三女神」と呼ばれ、海上安全、豊漁、交通安全の神として信仰されています。

 

宗像大社の3つの神社の場所やアクセスについては、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

実は3か所あった!宗像大社「辺津宮・中津宮・沖津宮」の場所・アクセス(行き方)と「3つのお宮がある理由」




天照大御神と宗像三女神の関係

一見全然関係が無いように見えますが、伊勢神宮と宗像大社のご祭神には深い繋がりがあります。

宗像三女神は、天照大御神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の「十挙の剣(とっかのつるぎ)」を3つに折って噛み砕き、それを吹き出した息の中から生まれたとされています。

つまり、宗像三女神は、天照大御神の御子神ということになります。
(素戔嗚尊の子とする場合もあります。)

宗像三女神は、天照大御神の神勅によって宗像の地へ降臨しました。

 

天照大御神の神勅と宗像三女神の降臨・鎮座については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)の「歴史・由来」と、ご祭神・宗像三女神の「名前の由来・ご神徳(ご利益)」など

「貴」の別称を持つという共通点

宗像三女神は、「道主貴(みちぬしのむち)」という別称を持っており、「貴(むち)」という尊称があるという点でも、伊勢神宮の天照大御神と共通しています。

「貴」とは、最も高貴な神にのみ贈られる尊称で、「貴」が付く別称を持つ神は、宗像三女神と、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち/天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち/大国主命)のみとなっています。

もう1つの理由・・「多数の神宝を保有すること」

宗像大社が、全国の神社の中心である伊勢神宮と並び「裏伊勢」と称されるもう1つの理由は、古代祭祀に用いられていた多数の神宝を保有する点にあります。

沖ノ島の神宝は約8万点!

沖津島がある沖ノ島では、4世紀頃から航海の安全などを祈願する大規模な祭祀が行われたと考えられており、これが現在の宗像大社に繋がっています。

沖ノ島は島自体がご神体とされ、「神宿る島」として信仰されており、「入島する前に禊をする」「島からは何も持ち出せない」などのしきたりが厳格に守られてきたことから、なんと千数百年も前の古代祭祀の遺構が、ほぼ手付かずのまま残されていました。

1954年から1971年にかけて行われた第1次~第3次発掘調査により、沖ノ島で約500年間に渡り行われていた、自然崇拝を元にした祭祀の歴史が明らかになり、同時に、祭祀に使われたと考えられるものや神への奉献品が、多数出土しました。

多数、というのも、なんと、約8万点という、途方もない数なのです!

これらの出土品は宗像大社の神宝として、現在は辺津宮の神宝館に収蔵されており、一部は公開されています。

宗像大社・神宝館

またこの約8万点の神宝は、1962年と2003年の2回に分けてすべてが国宝に指定されています。




宗像大社の神宝ってどんなもの?

沖ノ島で出土した神宝には、例えば以下のようなものがあります。

銅鏡、金銅製の馬具類、雛形五弦琴、織機、人形、土器、三彩陶器、滑石製品、玉類、刀剣類、金製の指輪など装飾品類

時代は古墳時代(4世紀頃)から平安時代(10世紀頃)のものまであり、日本・中国・朝鮮の他、ペルシャ製と思われるものも含まれています。

中には、伊勢神宮の神宝と共通するものもあるのだそうです。

 

現在の神道の祭祀に繋がる古代祭祀については、文字による記録は8世紀以降のものしか残っていないので、それ以前の祭祀の様子がわかる沖ノ島の遺跡や出土品は、日本固有の信仰が形成される過程を考える上でも、大変重要です。

このような神宝の数々が伝わっているという事実も、宗像大社が国内の神社の中でも最も重要な存在の1つであり、「裏伊勢」と称される理由になっているのです。

【豆知識】宗像大社には伊勢神宮の社殿がある!?

宗像大社・辺津宮には、宗像三女神の末妹、「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」がご祭神として祀られています。

一方、辺津宮の境内奥には、「第二宮(ていにぐう)」、「第三宮(ていさんぐう)」と呼ばれる2つの社殿があり、こちらにはそれぞれ、宗像大社・沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)と、中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)の分霊が祀られています。

これらの社殿は、1973年(昭和四十八年)の伊勢神宮の第60回式年遷宮に際し、別宮の「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)」と「伊佐奈弥宮(いざなみのみや)」の古殿を特別に移築・再建したものです。

この2つはもちろん、その名の通り、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀っていたところです。

ここで、これまで登場した神々の関係を整理してみます。

伊弉諾尊・伊弉冉尊

→<子>天照大御神:伊勢神宮内宮のご祭神

→<孫>宗像三女神:宗像大社のご祭神

つまり、宗像三女神のうち、長女神の「田心姫神」と、次女神の「湍津姫神」は、祖父母に当たる伊弉諾尊・伊弉冉尊のお住まいを譲り受けたことになります。

ここにも、伊勢神宮と宗像大社、そしてそれぞれのご祭神の繋がりがあるのです。

おわりに・・

2017年に世界遺産に登録されたことで、「宗像大社」という名前を始めて知ったという方もいるかもしれません。

でも実は宗像大社は、あの伊勢神宮と並び称される、長い歴史と高貴なご祭神、貴重な神宝を持つ、大変重要で特別な神社なのです!

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