宗像大社・辺津宮「拝殿」【重要文化財】

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宗像大社・辺津宮「拝殿」【重要文化財】

創建年

不明

再建年

1590年(天正十八年)

再建した人

小早川隆景

建築様式(造り)

切妻造、妻入り

屋根の造り

こけら葺

重要文化財指定年月日

1907年(明治四十年)、5月27日

宗像大社・辺津宮「拝殿」の歴史

宗像大社・辺津宮の拝殿の、はっきりとした造営時期はわかっていませんが、戦乱などにより数回焼失し、その度に再建されてきたとされています。

現在の拝殿は、1557年(弘治三年)の火災による焼失後、毛利元就の三男で、当時の筑前国の領主だった小早川隆景(こばやかわたかかげ)によって、1590年(天正十八年)に再建されたものです。

その12年前の1578年(天正六年)には、宗像氏貞(むなかたうじさだ)によって本殿の再建が行われていましたが、その後氏貞が亡くなり、後継ぎもいなかったため大宮司家が途絶え、社殿の再建も頓挫していたところに、領主となった小早川隆景が拝殿の再建に乗り出したのでした。

小早川隆景は、仕えていた豊臣秀吉が戦国時代の戦乱で荒廃した寺社の再興に熱心だったこともあり、同じ福岡県内の筥崎宮の楼門や太宰府天満宮の本殿を始め、多くの寺社の造営・再建も手掛けたことで知られています。

秀吉の信頼が厚く、五大老の1人だった小早川隆景

その後、江戸時代には、福岡藩主の黒田氏が代々修理を行い、明治時代以降はおおよそ半世紀に一度頻度で屋根の葺き替えや解体修理が行われてきました。

小早川隆景の再建時から現在までの約430年で、少なくとも28回の修理が実施されたという記録が残っています。

屋根については、造営時を含め瓦葺だった時期も長かったとされていますが、1917年(大正六年)からの解体修理でこけら葺に改められました。

2013年(平成二十五年)からの「平成ノ大造営」では、屋根の葺き替えの他、本殿と共に屋根や社殿の塗装の修復が行われました。

祈祷(祈願)は祈願殿にて!

神社の中には、「昇殿祈祷(昇殿参拝)」といって、申し込むと普段は中に入ることができない拝殿または本殿に上がり、特別に祈祷を受けられるところもありますが、宗像大社では、昇殿祈祷は行っていません。

代わりに、境内入り口付近に「祈願殿」という建物があり、交通安全祈願を始めとする祈祷(祈願)はすべて、祈願殿にて行われます。


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宗像大社・辺津宮「拝殿」の建築様式(造り)・特徴

「切妻造」とは、本を開いて伏せたような形の屋根「切妻屋根」を持つ建物の造りのことで、「妻入り」とは、切妻屋根の斜面の方ではなく、山の形の部分が見える方を正面とする造りのことです。

この山の形の部分を「妻」といい、辺津宮の拝殿の妻の部分には、「宗像宮」の扁額がかかげられています。

「こけら葺」とは、薄く加工した木材を重ねながら屋根を葺く工法で、日本独自のものです。

辺津宮の拝殿の建築の特徴としては、前後に長いという点が挙げられます。

ぜひ屋根の斜面がある側面からも見て、確認してみてください。

また、拝殿には「奉助天孫而 為天孫所祭」という扁額があります。

これは、天照大神が宗像三女神に与えた神勅で、「朝鮮・中国へ至る海の道(道中)に降り立ち、歴代天皇家を助け、また天皇家に祀られて、皇室と国民の繁栄を祈りなさい」という意味があります。

 

宗像三女神の降臨についてや宗像大社の歴史・ご祭神に関しては、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)の「歴史・由来」と、ご祭神・宗像三女神の「名前の由来・ご神徳(ご利益)」など

宗像大社・辺津宮「拝殿」の場所

大鳥居をくぐって太鼓橋を渡り、参道をまっすぐ進むと、廻廊に囲まれた部分の入口となる神門があります。

神門をくぐった正面にあるのが、拝殿です。

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