太宰府天満宮「志賀社」【重要文化財】
読み方
しがしゃ
再建年
1458年(長禄二年)
建築様式(造り)
一間社入母屋造
屋根の造り
檜皮葺、正面千鳥破風・唐破風付き向拝一間
ご祭神
綿津見三神(綿津見三柱神)
ご神徳(ご利益)
海上(航海)安全、豊漁など
重要文化財指定日
1907年(明治四十年)
太宰府天満宮「志賀社」の歴史・由来
菅原道真公が左遷された大宰府は、古くから朝鮮半島や大陸との外交・貿易を管轄した役所でした。
安楽寺(現在の太宰府天満宮)もまた海外との貿易を行っていたことから、境内に海の神を祀る神社が建てられたようです。
池に守られているため、再建後は火災にも遭わず、太宰府天満宮の中で現存する最古の建造物となっています。
1907年(明治四十年)には、「太宰府天満宮末社志賀社本殿」として、国の重要文化財に指定されました。
太宰府天満宮の中で重要文化財になっているのは、御本殿とこの志賀社のみです。
末社とは?
太宰府天満宮には、合わせて37の摂社・末社があります。
摂社とは、一般的には主祭神の子や妻などの縁戚関係にある神や、もともとその土地に鎮座していた地主神などを祀る神社です。
太宰府天満宮では菅原道真公の妻、宣来子命(のぶきこのみこと)を祀る楓社などがあります。
これに対し末社とは、摂社に祀られる以外の、他所から勧進された神などを祀る神社で、志賀社もこの末社にあたります。
太宰府天満宮「志賀社」の建築様式(造り)・特徴
志賀社のお社は、和様、唐様、そして天竺様(大仏様)の3つの建築様式が混在する、珍しい造りとなっています。
また、室町時代の再建ながら、後の時代に修復された時の影響で、桃山時代や江戸時代の様式の影響も見られます。
建立当初は黒漆塗りに金製の金具が散りばめられた、華やかで優美なお社だったと考えられていますが、現在は素木造りのような見た目で、彩色や装飾は見られません。
屋根の造りと特徴
屋根は上層が2方向の勾配を持つ切妻、下層が4方向の勾配を持つ寄棟のような造りになった「入母屋造」で、檜皮葺(ひわだぶき)となっています。
更に屋根の手前には、曲線が美しい唐破風が付いた向拝(こうはい・ごはい)が設けられ、小さなお社ですが、精巧な造りで風格漂う建物です。
本来はこの向拝の下まで行きお参りをするのですが、現在は囲いがあり近づくことができません。
他に特徴的なのは、屋根の正面にある「千鳥破風」です。
屋根の上層は前後に向かって本を伏せたような形になっていますが、正面に三角形の千鳥破風が設けられることで、より複雑で豪華な印象になっています。
千鳥破風は、城郭建築によく採用されているので、見覚えがあると感じる方も多いのではないでしょうか。
太宰府天満宮「志賀社」のご祭神「綿津見神(わたつみのかみ)」とは?
わたつみの神は、海の神として知られる神で、イザナギが禊(みそぎ)をした際に生まれました。
名前の「ワタ」は「海」、「ツミ」は「司る」という意味があり、海上安全の他、海中の生物に関することなど、海に関係するすべてのことを司るともされています。
ちなみに、このわたつみの神は、イザナギ・イザナミから生まれた「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」とは別の神さまとされています。
わたつみの神は三神?
太宰府天満宮志賀社のご祭神は、「綿津見神三神(三柱神)」です。
実は、イザナギが禊をした際に生まれた海の神は以下の三神で、一般的にはまとめて「わたつみの神」と呼んでいるんです。
- 底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
- 中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
- 表(上)津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
読んで字のごとく、これらの三神は、それぞれ海の底、中ほど、海面を司っていると言われています。
太宰府天満宮「志賀社」の場所
心字池にかかる1つ目の太鼓橋を渡ったところにあるお社は「今王社」です。
(ちなみに、今王社については由来が全く伝わっておらず、謎の神社とされています。)
志賀社は、太鼓橋の次の平橋を渡ると、右手に見えます。
おわりに・・
いかがでしたか?
御本殿に続く道の途中の小さなお社で、素通りしてしまう方も多い志賀社ですが、実は長い歴史を持ち、太宰府天満宮にとっても重要な神社の1つです。
ぜひお参りしていってください!
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