太宰府天満宮「楼門」
読み方
ろうもん
再建年
慶長年間(1596年~1615年)、1914年(大正三年)
建築様式(造り)
入母屋造、二重門
屋根の造り
檜皮葺
太宰府天満宮「楼門」の歴史・由来
楼門とは!?
楼門とは、2階建ての門のことです。
一般的には、上層のみに屋根を設けて、高欄付きの縁を巡らせます。
下層にも屋根があるものを「二重門」、ないものを「楼門」といって区別することもあります。
ところで、神社の「門」と言えば、一般的には鳥居です。
太宰府天満宮には、参道から境内までいくつもの鳥居があるだけでなく、御本殿の前には立派な楼門が設けられているんです。
これは、太宰府天満宮が「安楽寺(安楽寺天満宮)」という寺だった頃の名残なのかもしれません。
太宰府天満宮の由来や歴史については、当サイトの以下のページ↓もご覧ください!
太宰府天満宮「楼門」の歴史
太宰府天満宮は、地域の庶民から信仰されていただけでなく、官人や武将たちの庇護も受けてきました。
戦国時代には戦乱に巻き込まれて荒廃しますが、後に小早川隆景や黒田官兵衛などの寄進を受けて再興していきます。
この流れの中で楼門を再建したのは、豊臣家五奉行の一人、石田三成でした。
石田三成は九州平定を成し遂げた豊臣秀吉の命により、博多の街の復興にも力を尽くしたことで知られています。
さて、太宰府天満宮の楼門は明治時代には火災で焼失してしまいますが、1914年(大正三年)にまた再建され、現在に至っています。
太宰府天満宮「楼門」の建築様式(造り)・特徴・見どころ
太宰府天満宮の楼門は、入母屋造の二重門です。
二重門とは、前述の通り、上層にも下層にも屋根がある2階建ての門のことです。
ただ、太宰府天満宮の楼門は、普通の楼門とは少し・・いえ、全然違います。
なんと、表側から見ると上下に屋根のある二重門、内側から見ると下層に屋根のない一重の門に見えるという、世にも珍しい門なんです。
内側はこのようになっています↓
大きな建物なので少し見づらいですが、蟇股(かえるまた)には美しい梅の花の彫刻も施されていますよ。
また、門をくぐる際には、2m近い大きさのある提灯にも注目してください。
提灯に書いてある「御神燈」は「ごしんとう」と読み、神さまに備える灯りを意味しています。
守護するのは仁王像・・ではなくて「随身」
門の左右の格子の中に鎮座し、厳しい表情で外を見つめるこの像は、お寺によくある仁王(金剛力士)ではなく、随身と呼ばれる貴人のお供・護衛の武官がモチーフとなっています。
穢れや災いを御本殿の御祭神に近づけぬよう、個々で見張っているのでしょう。
太宰府天満宮「楼門」ライトアップもあるの!?
太宰府天満宮では、毎年10月18日に、「特別受験合格祈願大祭」を開催しています。
これに合わせて、10月1日から31日は大祭期間となり、鯉に乗った天神さまが滝を上って龍になる姿を現した「飛龍天神ねぶた」が楼門に掲げられます。
期間中は日没から20時までライトアップが行われるので、機会があればぜひ見てみてくださいね。
太宰府天満宮の「特別受験合格祈願大祭」についての詳細は、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
太宰府天満宮で学業上達・受験合格祈願・お礼参りをするには!?「祈願(祈祷)申し込み方法・時間・場所・初穂料(料金)・特別受験合格祈願大祭について」
太宰府天満宮「楼門」の場所
参道から境内の入り口となる鳥居をくぐり、延寿門院と御神牛像の前で左折して心字池を渡ります。
そのまままっすぐ歩けば、楼門にたどりつきます!
おわりに・・
いかがでしたか?
表側と内側で別の顔を持つ世にも珍しい楼門を、一度じっくりと観賞してみてはいかがでしょうか?
さて、楼門をくぐるといよいよ御本殿です!
太宰府天満宮の境内は、基本的には自由に出入りできますが、この楼門の内側は、開門時間・閉門時間に合わせて拝観することになります。
開門時間・閉門時間他、太宰府天満宮の拝観情報は、当サイトの以下のページ↓でチェックしてくださいね。
太宰府天満宮の拝観情報「拝観時間(開門時刻・閉門時刻)・拝観料金(割引料金)・駐車場の場所・境内案内図・拝観ルート(回り方)など」
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