沖ノ島は、2017年に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産に登録された5つの構成資産の中心です。
宗像大社の三宮の1つ、「沖津宮」がある沖ノ島ですが、実は、古代から受け継がれてきた厳しい掟があり、観光に訪れることはできません。
こちらのページでは、そんな沖ノ島の掟と、沖津宮に参拝する方法について、ご紹介します!
沖ノ島の掟(しきたり)
沖ノ島は、古くから「神宿る島」として崇められ、以下のような掟が守られてきました。
「不言様(おいわずさま)」
沖ノ島で見聞きしたことは、一切口外してはいけません。
遺跡の研究内容が公表されたり写真集が出たりはしていますが、基本的には守るべきものとされている掟です。
「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」
沖ノ島からは何も持ち出してはならないとされています。
江戸時代には、この掟を破ったことで祟りがあったという伝承も残っているということです。
この掟が守られてきたおかげで、沖ノ島の古代祭祀遺跡はほぼ手付かずのまま保存され、約8万点の神宝(一括で国宝指定)も、千数百年の時を経て現在まで残されていました。
なお、沖ノ島から唯一持ち出せるものが「御神水」だと言われており、その水を閉じ込めたお守りが、宗像大社・辺津宮の授与所で授与されています。
宗像大社・辺津宮のお守りについて詳しくは、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
宗像大社のお守りの「種類・初穂料(値段)・授与場所(営業時間)・効果(ご利益)」など
「上陸前の禊」
現在、一般の人が沖ノ島へ上陸することはできません。
特別に上陸が許可された場合も、初めに裸で海に浸かり心身を清める禊を行う必要があります。
沖津宮に日々お仕えしている神職の方も、もちろん禊をしています。
「女人禁制」
沖ノ島では、2017年まで、沖津宮大祭がある5月27日に限って、抽選で当選した男性の上陸は許されていました。
しかし、この時も女性は参加することができませんでした。
なお、2018年からは、沖ノ島の保護などの観点から、沖津宮大祭は中止され、沖ノ島は「神職以外は原則入れない」ことになりました。
現在は、宗像大社の神職と、学術研究や社殿の修理のために許可を得たごく限られた人しか、立ち入ることができなくなっています。
つまり、「女人禁制」から、事実上の「入島禁止」となったわけです。
「島内で四足の動物を食べてはいけない」
一般の人は上陸できないのでこの禁忌を犯す心配はありませんが、食べ物にまで掟が存在しています!
知ってる!?沖ノ島のこんな噂!
上記でご紹介した掟(しきたり)以外の、沖ノ島の注目すべき伝承や習慣などについてご紹介します。
沖ノ島の沖津宮には神職が1人だけ住んでいる?
「神職以外は入島禁止」ということは、島にいるのは、神職の方だけということになります。
沖ノ島の沖津宮には、宗像大社の神職が10日間の交代制で常駐し、日々の神事を行っています。
島に常駐する神職は1人で、宗像大社の日々の仕事をこなしたり、沖津宮の掃除をしたり、必要に応じて神事を執り行ったり、人によっては楽器の練習や読書をしたりして過ごすのだそうです。
あの武将が沖ノ島の祟りを受けていた!?
既に少しだけ触れましたが、江戸時代には、「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」という掟を破ったために沖ノ島の祟りを受けた武将がいると伝わっています。
その武将とは、関ケ原の戦いでの活躍が有名な、福岡藩の初代藩主・黒田長政です。
黒田長政は沖ノ島に素晴らしい宝があることを聞き、それを持ち出そうと神職にかけあいます。
何も持ち出せないしきたりがあるため、もちろん神職には断られてしまいますが、とうとう神宝のうちのいくつかを持ち出させ、自らの城に保管してしまいました。
すると、神宝が動いたり光が飛び出したりするなどの異変が起きたためこれを祟りだと悟った長政は、持ち出したものを沖ノ島に戻したと言います。
この時に長政が持ち出した神宝の1つが、宗像大社の神宝館にある「金銅製高機(たかはた)」だとも言われています。
高機とは手織り用の織機の一種ですが、こちらはそのミニチュア版で、金箔が施された美しい工芸品です。
沖ノ島は別名「海の正倉院」!?
正倉院とは、聖武天皇・光明皇后のゆかりの品や、シルクロードを通って伝来した美術工芸品などを収蔵していた奈良の東大寺にある建物ですが、その正倉院にちなんで、沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれます。
その理由は、沖ノ島から出土した数々の神宝にあります。
上述のように、沖ノ島では、古い遺跡がほぼ手付かずのまま残っており、その遺跡群からは、祭祀に使われたり、大陸から奉納されたりしたと思われる鏡、指輪、飾り金具、楽器などが、昭和の3回にわたる発掘調査の際になんと約8万点も出土しています。
これらの出土品の保存状態はいずれも非常に良好で、一括で国宝に指定されています。
神宝の一部は宗像大社・辺津宮の神宝館で公開されていますので、ぜひ足を運んでみてください。
「女人禁制」のワケは「神様が嫉妬するから!?」
沖ノ島が女人禁制だった理由には諸説ありますが、そのうちの1つが、ご祭神「田心姫神(たごりひめのかみ)」が、自分の島に他の女性が来るとやきもちを焼くためだとする説です。
自分より美しい女性を見ると嫉妬するのか、沖ノ島には自分以外の女性は必要ない!ということなのかわかりませんが、「女神は嫉妬深い」という話は、『遠野物語』など、日本の昔話や言い伝えにはよくあることのようです。
女神が宿る場所が「神が嫉妬しないように」という理由で女人禁制とされている(されていた)例は他にもあり、例えば大相撲の土俵も、その1つだと言われています。
沖ノ島が女人禁制である理由としては他にも、以下のような説がありますが、はっきりとはわかっていません。
- 神道では血液を穢れをして嫌うため、月経がある女性は入島禁止とした
- 沖ノ島への船旅は危険なので、子孫を守るため、女性の入島を禁じた
世界遺産登録を巡っては、「世界遺産は人類共通の遺産なのだから、男女共に入島できるようにするべき」といった声も国内外から届いていましたが、伝統と信仰を重んじ、女人禁制を解くことなく、世界遺産に登録されることになりました。
また2018年からは、島の保護を理由に、特別な許可がない限り男性の入島も禁止となっています。
宗像大社のご祭神・宗像三女神については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)の「歴史・由来」と、ご祭神・宗像三女神の「名前の由来・ご神徳(ご利益)」など
沖ノ島の沖津宮に参拝する方法は!?
上陸できないなら参拝は無理・・?
と諦めるのは早すぎます。
実は、沖ノ島に入らずに、沖津宮を参拝する方法があるのです!
宗像大社は、九州本土の辺津宮・大島の中津宮・沖ノ島の沖津宮に三姉妹の神「宗形三女神」を一柱ずつ祀っています。
三女神すべてにしっかりとお参りしておきたいというあなたは、ぜひ以下をご参照ください。
1. 辺津宮の「第二宮(ていにぐう)」に参拝する
宗像大社・辺津宮の本殿・拝殿の後ろ側(境内奥)には、第二宮(ていにぐう)・第三宮(ていさんぐう)を呼ばれる社殿があり、それぞれ、沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)と、中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)の分霊が祀られています。
これらの社殿は、1973年(昭和四十八年)の伊勢神宮の第60回式年遷宮に際し、別宮の古殿を特別に移築・再建したものです。
この第二宮・第三宮にもお参りすることで、沖ノ島や大島に行けなくても、沖津宮と中津宮のご祭神にもお参りしたことになるということです。
宗像大社・辺津宮の見どころや拝観情報については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
宗像大社・辺津宮の見どころと拝観情報「営業時間(拝観時間)・拝観料金・駐車場の場所など」※境内マップ付き
宗像大社・辺津宮へのアクセスについては、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
JR博多駅から宗像大社・辺津宮へのアクセス(行き方)「電車・バス・車(タクシー)」
2. 沖津宮遙拝所から遙拝する
宗像大社の三宮の中の中津宮がある大島には、「沖津宮遙拝所」があります。
この遙拝所は1700年代までには設けられたと考えられ、立ち入ることのできない沖ノ島を拝むための、大切な信仰の場として受け継がれてきました。
丘の上の社殿は、沖津宮の拝殿の役割を果たし、そこから沖津宮や、島そのものがご神体とされている沖ノ島を望み、拝むのです。
よく晴れて空気が澄んだ日には、50km近く離れた海の向こうの沖ノ島の姿が、はっきりと確認できます。
大島の中津宮と沖津宮遙拝所へのアクセスについては、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
実は3か所あった!宗像大社「辺津宮・中津宮・沖津宮」の場所・アクセス(行き方)と「3つのお宮がある理由」
おわりに・・
いかがでしたか?
神が宿るとされる神秘の島「沖ノ島」と、宗像大社の三宮の1つ「沖津宮」について、興味を持っていただけたでしょうか?
世界遺産に登録されたと聞くと、つい「行ってみたい!」と思ってしまいますが、歴史や自然、信仰を守り、次の世代に受け継ぐために、敢えて立ち入れないようにしてある世界遺産もあるんですね。
実際にこの目で見られないのは残念ですが、宗像地域の信仰とご祭神・宗像三女神を敬う意味でも、ぜひ、辺津宮や遙拝所を訪れて、沖津宮に思いを馳せてみてください!
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