【筥崎宮の玉せせり(玉取祭)】意味由来と日程(時間・場所)を….お知る?

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「玉せせり(玉取祭)」とは?

毎年1月3日には、別名「玉せせり」とも呼ばれる玉取祭(たまとりさい)が行われます。

当祭典は長崎くんち、八代妙見祭とともに九州三大祭にも数えられる九州屈指の奇祭として知られ〜る💋

玉取祭では、名称の通り、2つの木製の玉を裸に締め込み(ふんどし)姿の「競り子」と呼ばれる男たちが奪い合い、1年の吉凶を占い、豊年を祈願する行事です。

参加者は小学生を含む筥崎宮の氏子衆、総勢250~300名で、観客は晴天時で約5万人に上ります。

当然、「玉取祭」が行われている間は境内が人でごったがえしますし、参道も、なかなか前へ進めないほどの混雑になります。

⬆️玉取祭の際の参道の様子

お出かけの際は、ご注意ください。

ピヨ🐣”せせり”とは?

「せせり」とは、触れる・競うという意味なのだそうです。




玉取祭(玉せせり)の日程・場所

日時

  • 1月3日 13時~14時30分頃
場所

  • 玉取恵比須神社~筥崎宮境内

※玉取恵比須神社は筥崎宮から250mほど離れた場所にあります。

玉取祭の「玉」の意味

玉取祭の「玉」は、触れると災難除け・招福のご利益があると言われています。

陽玉(ようのたま)陰玉(いんのたま)の2つがあり、競り子たちは陽玉を奪い合います。

1年の吉凶を占う意味もある祭りで、競り子は陸(おか)側と浜側の2つの陣営に分かれており、最終的に神職に玉を手渡すのが陸組(陸側)なら豊作、浜組(浜側)なら豊漁の年になると言われています。

また、玉を納めた競り子が、その年一番の幸運者とされます。

陽玉の大きさ

直径約28㎝、重さ約8㎏
※向かって右側、明るい茶色の玉

陰玉の大きさ

直径約30㎝、重さ約11㎏
※向かって左側、焦げ茶色の玉




玉取祭の流れ(内容)

①玉洗式

まず、筥崎宮・絵馬殿前にて、2つの玉を藁束で祓い清め、種油で拭き上げる「玉洗式」が執り行われます。

②末社・玉取恵比寿神社へ移動

その後、玉取恵比須神社へ移動し、神事の後、いよいよ「玉せせり」が始まります。

玉取恵比須神社

「玉せせり」では、競り子たちが、肩車をし、水を浴びながら、陽玉を奪い合いつつ、筥崎宮へ移動していきます。

玉の争奪戦は、子どもの競り子から始まり、大人へとバトンタッチされます。

③筥崎宮に到着

「玉せせり」をしながら一行が筥崎宮に入り、最後には、楼門前で待つ神職に玉が手渡されます。

ここで、陰と陽の玉が再び揃い、神事終了となります。

玉取祭(玉せせり)の歴史

玉取祭の起源は明らかではありませんが、500年ほど前、室町時代に始まり、今日まで盛大に行われてきたとされています。

現在は筥崎宮や、広島県・宮島の厳島神社の玉取祭が有名ですが、もともとは日本全国のえびす神社で行われた「珠はやし」という行事だったとも言われています。

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