太宰府天満宮「飛梅」
太宰府天満宮「飛梅」の開花状況と見頃時期
2024年度の開花状況と見頃
開花日:2024年は1月12日とのこと
見頃:2月4日、飛梅は見頃とのこと。(公式より)
【ピヨ🐣参考】例年の平均
- 1月上旬頃〜2月初旬頃
早い時は12月末に開花。(例年の開花時期:平均では1月中頃が目安)
【ピヨ🐣参考】過去の開花具合
2022年度
2022年(令和4年)度は寒気の影響からか平年より遅い傾向が見られ、1月23日に開花。2月05日が見頃だった。
飛梅は早咲きの梅❓
飛梅は境内の梅よりも早咲きの梅として知られてい‥申す。ウミィャっ(梅だけに)
ちなみに2022年度は2月25日、が境内の梅は見頃だった。
例年、2月中旬から3月上旬にかけてが太宰府天満宮境内における梅の見頃。
なお、境内には約200種、約6,000本の白梅・紅梅が植樹されており、日本有数の梅の名所として知られる。
太宰府天満宮「飛梅」の歴史・由来
太宰府天満宮の御本殿の前には、紅梅と白梅が植わるが、このうち向かって右脇の白梅は「飛梅(とびうめ)」と名付けられた梅になる。
樹齢は軽く1000年を超えると伝わる。
飛梅は当初、現在地には無かった
飛梅は元々、現在の太宰府天満宮の飛び地に建つ榎社(えのきしゃ)が建つ場所に植えられていたらしいが、太宰府天満宮が創建された際、現在地に移植されたと伝わる。
榎社は二日市駅(西鉄)付近に位置し、平安時代には菅原道真公ゆかりの大宰府の南館と呼ばれた場所であり、はたまた道真公と家族の住まいでもあった。
菅原道真公と梅の繋がり
菅原道真公は、学者や政治家としてだけではなく、詩人としても大変優れていました。
菅原道真公は、11歳の時に「月夜に梅花を見る」という題の漢詩を発表し、それが詩人としてのデビュー作になりました。
それから梅をテーマとした漢詩だけでも24篇の作品を制作し、大宰府で亡くなる時にも梅の花を詠った詩を残したといいます。
折に触れて梅の詩を作っていた道真公が、学者としては異例の出世をしたことから、「梅と言えば菅原氏」と言われ、梅の木を縁起物とする風潮もありました。
京都には菅家のお屋敷が少なくとも3件あり、そのうち2件には梅の木が植えられて「白梅殿」「紅梅殿」という通称で呼ばれていました。
左近の梅・右近の橘
現在、飛梅が植わるのは、御本殿を向かい見て右側だと述べましたが、御本殿側から見ると左になるので「左近(さこん)」と呼ばれる。
実は、天皇の御所だった京都の内裏の正殿「紫宸殿(ししんでん)」の前庭にも、菅原道真公が活躍していた当時、左近には梅が植えられていました。
平安京に都を移した桓武天皇が、右近(うこん)の橘と対になるように植樹したもので、遷都を支持していた菅原氏もこれに影響を受け、自身の屋敷にも梅を植えたようです。
太宰府天満宮の本殿の向かって左前、つまり「右近」にも、遅くとも戦国時代末期からは橘が植えられており、紫宸殿を模して「左近の梅、右近の橘」の構図にしたとも云われる。
ちなみに紫宸殿の「左近の梅」は後に桜に替えられ、「左近の桜、右近の橘」として有名になりました。
菅原道真公と「飛梅」の伝承
菅原道真公は、901年(延喜元年)、左大臣藤原時平のはかりごとによって、京都から九州の大宰府へ左遷されました。
この時に、屋敷の梅に呼びかけて詠んだ歌が、
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
(春が来て東風が吹いたら、梅の木よ、また花を咲かせておくれ。主人がいなくなっても、春を忘れてはならないよ。)
というものでした。
このように別れを惜しまれた梅は、道真公に付き添いたい気持ちを強くし、空を飛んで大宰府に根を下ろしたといいます。
ところで‥飛梅は紅梅?白梅?
国宝『北野天神縁起絵巻』によると、菅原道真公が「東風吹かば」の歌を詠んだ場所は紅梅が植わっていた紅梅殿だが、太宰府天満宮にある飛梅は見たところ、白梅になる。
これについては、「京都から大宰府へ飛んでいく間に色が変わってしまった」という伝承もありますが判然としない。
紅梅殿と白梅殿は道を挟んで隣接していたので、道真公は両方の梅に語りかけたのだ、とも考えられます。
飛松岡と飛松伝説
京都にあった菅原道真公の住まいには、梅だけではなく松の木や桜の木もありました。
このうち、松は梅と一緒に主人を追って飛び立ちましたが、途中で力尽き、現在の神戸市に留まりました。
この場所は後世「飛松岡」と呼ばれるようになり、「飛松伝説」として語り継がれています。
一方で桜は、同じ場所にあったのに「東風吹かば」のように声をかけてもらったのが梅だけだったのを悲しんで、一夜にして枯れてしまったという話が、『源平盛衰記』に登場しています。
皇后の梅とは?
本殿の前には、飛梅と対になるように、「皇后の梅(きさいのうめ)」と名付けられた紅梅が植えられています。
これは1922年(大正十一年)に、大正天皇のお后、貞明(ていめい)皇后が自ら植えられた木の継承木です。
飛び梅にまつわる神事「飛梅ちぎり」
太宰府天満宮では例年6月1日頃に飛梅の実をもぎり取る「飛梅ちぎり」の神事を執行する。
だグぁ!
2021年、2022年度は陽気が続いたことから、梅の開花が進み2週間前倒しで実施された。
太宰府天満宮の飛梅は天下に名前が聞こえるとだけあって規模が大きく、2021年度は138個が採取されたが、2022年は過去5年間で最多となる668個も採取され、大きな話題を呼んだ。
採取された飛梅の実は神前に供じられ、11月より一生一代のお守りとして希望する参拝客に授与される。
太宰府天満宮「飛梅」の場所
飛梅は、太宰府天満宮の本殿の前にあります。
また太宰府天満宮の延寿王院の向かって右前方には、「東風吹かば」の歌の歌碑が立っています。
飛梅は太宰府天満宮境内の梅の中では毎年一番先に花を咲かせる?
不思議しぎしぎ摩訶不思議なことに古来、飛梅は太宰府天満宮にある梅の中でも、毎年真っ先に花を咲かせ、太宰府に早春を告げると伝わる。
それゆえ、見頃を迎えた観梅のために社参するのであれば、当年の梅の開花状況は入念にチェックしておくことが肝要💘