筥崎宮「放生会」の歴史(由来)

筥崎宮「放生会」はどんなお祭り?

読み方

  • ほうじょうや

※「ほうじょうえ」や「ほうじょうかい」ではなく、「ほうじょうや」と読みます。

期間

  • 9月12日~9月18日
時間

  • 7時30分~22時頃

※社務所(授与所)の受付時間。開門閉門は様子を見ながらこの時間前後。

人出

  • 期間中のべ約100万人

筥崎宮の放生会は、博多どんたく、博多祇園山笠と並び「博多三大祭り」の1つに数えられる、盛大な行事です。

毎年9月12日から7日間に渡って開催され、期間中は秋の例大祭を含む多くの神事や、「神賑わい」と呼ばれる付属行事が行われ、のべ100万人もの人が訪れます。

筥崎宮によると、放生会は、「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りということです。

そもそも「放生会」とは?

筥崎宮の放生会は大変有名な祭りですが、そもそも放生会は「ほうじょうえ」と読み、仏教の法会の1つです。

仏教には殺生戒(せっしょうかい)という殺生を戒める戒律があり、放生会はこの思想に基づいて行われます。

お坊さんが精進料理を食べるのも、「お盆の時期には釣りをしない」と言われるのも、ベースにはこの殺生戒があるのです。

放生会では、一般的には、鳥獣や魚を自然に放すことで、肉食や殺生を戒め、「慈悲」を行動に移すことを旨としています。

神仏習合により神社でも行われるようになり、特に大分県宇佐市の宇佐神宮や、京都府八幡市の石清水八幡宮の放生会が有名です。




筥崎宮の放生会とは❓

既に少し触れましたが、放生会(ほうじょうえ)は、もともと仏教の思想に由来しています。

元はインドや中国で行われていたものが日本に伝来し、文献によると677年(天武天皇5年)に天皇の詔によって始まったというのが初出ですが、同じような習慣はそれ以前にもあったと言われています。

一方、神社の放生会の起源は、大分県の宇佐神宮の放生会です。

724年(神亀元年)、「合戦の間多く殺生す、宜しく放生を修すべし」という八幡神のご神託があったことから、744年(天平16年)に始まったとされています。

この合戦というのは隼人の反乱であり、放生会は、反乱が鎮圧される過程で命を落とした隼人の怨霊を鎮めるという意味が込められていました。

石清水八幡宮でも宇佐神宮に倣って863年(貞観5年)に始まったとされており、同じ八幡神を祀る筥崎宮でも、この流れを引き継ぎ、平安時代の919年(延喜19年)に放生会が始まったという記録が残っています。

筥崎宮の放生会は、実に、1100年もの歴史を持つ行事なのです。

江戸時代に一時中断したようですが、再興されて現在に至っています。

なお、放生会やそれに類する行事は、収穫祭や感謝祭の意味も兼ねて、全国の八幡神社で行われています。

明治時代の神仏分離により、仏教色の強い「放生会」という名称が使えなくなったため、宇佐神宮と石清水八幡宮では、祭事の名称を「仲秋祭」に改めています。

関連記事一覧

スポンサードリンク -Sponsored Link-



当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。